壺中夢の47人のおんなたち

輝ける
47人のおんなたち

埼玉県荻野吟子(1851〜1913)埼玉県熊谷市出身 医師

女性初の公認医師

明治18年の時代、医師は男性に限られ医師国家試験の受験は女性禁止でした。名主同士の家系の結婚でしたが夫から移された淋病をきっかけに離婚し医師になる決意をします。22才で国学者の井上頼圀に師事、24才でお茶の水女子大学の一期生として入学、首席で卒業します。石黒軍医に女医の必要性を必死に説得し私立医学校に特別の形で入学の許可を得ます。男性の冷やかな目線を浴びながら髪の毛をショートカットにし袴姿に高下駄を履き、男子学生からいじめや蔑視の苦労の3年間を耐えに耐えぬき優秀な成績で修了します。女医の前例のない時代のこと、医術開業試験(現在の医師国家試験)の願書は2年間却下され続け33才で許可されます。前期試験合格、翌年の後期試験に合格し東京湯島に念願の“産婦人科荻野医院”を34才で開業します。日本初の公認女医の誕生は女医を目指して15年目の春でした。この頃のことを「女学雑誌」354号に書いていた内容は「進退是れ極まれり百術総て尽きぬ。肉落ち骨枯れて心神いよいよ激昂す……」と残っているそうです。父母も他界し仲間もいない孤独の中での戦いでした。新聞や雑誌で女医第一号として大きく扱われたものの女性蔑視の世間には勝てずハッピーエンドとはならない一生でした。しかし、女性が医術開業試験を受験できる門戸を開いた功績に満足してこの世を去ったと信じます。

COPYRIGHT © 2016 COTYUMU ALL RIGHTS RESERVED.