京都府清少納言と紫式部(996〜1014二人の活動期)京都府出身 作家
清少納言:夜をこめて鳥のそら音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ(百人一首62番)
紫式部 :めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かな(百人一首57番)
二人は共に一条天皇の妃に仕える高級女官、今でいう家庭教師的な女房の役割をしていますが、時間差が10年ありすれ違っているといわれています。
清少納言の名が今日も知られ話題に上るのは日本最初の随筆文学「枕草子」を残したことによるわけですが、平安時代の宮廷の日常や人間模様を噂まで含めて観察した事実をまとめた内容ですから当時の宮廷内でも興味を持って騒がれたと言われています。
また、教養のある環境に生まれ、機知に富む感性と表現力から生まれた「枕草子」の後世への文学的貢献は計り知れないと評価されています。同時期に清少納言と紫式部の才媛が二人揃う偶然は後日談として面白おかしく無責任に対比され、まことしやかな下駄を履かせた逸話は庶民の読み物に色を添えています。女流文学者、紫式部は娘時代の本名を小市(こいち)といい受領の子です。
人間の心理を構成したフィクションの恋愛小説、4.5年で書いたといわれる「源氏物語」54帖を、今から遡ること一千年前に綴っています。これは世界文学史上初の恋愛小説として奇蹟です。当時の環境も加勢していて一条帝の周辺は枕草子の清少納言、恋愛歌人の和泉式部、同じく歌人の「栄華物語」の赤染衛門、そして男性貴族の秀才たちとも教養を競い合った文芸の華やかな時代の傑作は眩しいばかりです。よく練られた逸話「源氏物語」は日本国民の永遠の宝物であり続け感謝と共に誇りに思います。
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