壺中夢の47人のおんなたち

輝ける
47人のおんなたち

沖縄県上原貴美子(1919~1945)沖縄県糸満市出身 看護婦長

第二次世界大戦の終盤、1945年3月から米軍に占領されていく沖縄の地で上原婦長ほど勇敢に自分の職責を果たした女性がいたでしょうか。
壮絶な戦地の中で悲壮な任務と格闘しながら負傷者に最後まで尽くしきった看護婦長でした。軍医と対等、いやそれ以上だったと周りの看護婦たちが言い、明晰で統率力に優れ兵隊たちからも白衣の天使と慕われる神々しい姿の日々は、負傷者の世話や麻酔なしの手術、屍体の埋葬、看護婦の補充、食事の管理、頭が吹き飛んだ兵隊や手も足もない亡骸や脳みそや肉の欠片でいっぱいの壕の中の回診などでした。
いよいよ断末魔の沖縄、“ひめゆり部隊”の少女たち222人の内殺害、自決の136人など島民の被害拡大で看護婦たちにも解散命令が出ました。
婦長たちは山城に向かって夜通し歩き続け雑草の茂みに身を隠したとき、米軍の砲弾の雨に打たれて6月20日絶命と記録されている上原貴美子婦長です。

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